坂東札所第九番 慈光寺

慈光寺チェックポイント

  • 青石塔婆群
  • 宝物殿(一般500円)
  • 慈光寺経妙法蓮華経授記品
  • 夜荒らしの名馬

慈光寺について

慈光寺に伝来される縁起によると、天武天皇の白鳳二年 (673) 釈慈訓、また同九年(680)役小角、 更に唐僧鑑真の高弟である釈道忠により、開山されたと伝えられてます。
平安時代になると、いっそう隆盛し、清和天皇から「天台別院 一乗法華院」の勅額を与えられ、鎌倉時代になると、源頼朝から戦勝祈願の寺として、また、田畑千二百町歩の寄進を受け一山九十九の寺院(一院・七十五坊・二十三庵)を擁する大寺院として隆盛 を極めました。(慈光寺案内資料より)

慈光寺案内図

慈光寺案内図

女人堂と青石塔婆群

慈光寺女人堂

女人堂内には興教大師覚鑁座像・十一面千手千眼観世音菩薩・観音菩薩坐像が安置されています。

慈光寺山門跡の板碑群

慈光寺山門跡の板碑群

慈光寺山門跡に立つ9基の板碑は、鎌倉時代から室町時代にかけて造られた供養塔です。 表面の大きな梵字は本尊を表し、仏像彫刻と同じように蓮座の上に刻まれています。 蓮座の下には年号や願文など造立の目的が刻まれています。
個々の板碑の造立目的をみると、 摩滅の進んだ十三仏種子板碑④は判読できませんが、 1番大きい貞治4年銘板碑⑤は、慶秀・頼承・慶救の3名が、寺ゆかりの頼憲・専信・頼慶など14名の僧侶の霊を供養するために造立したことがわかりま す。 また、 元亨4年銘板碑⑦は朋全という僧侶が自らの死後の往生を願う逆修供養のために造立したことがわかります。これと同様に逆修供養のために造立した板碑が5 基①②⑥⑧⑨があります
この場所は大型板碑が群立する景観として知られていますが、明治時代の初期に山中の僧坊跡から移設したものと考えられています。(案内板より)

慈光寺開山寶塔

慈光寺開山寶塔

慈光寺開山塔は、鑑真の弟子で慈光寺を開山した釈道忠 (広恵菩薩)の墓に建てたと伝えられ、正面に見える覆堂の中に収められています。
現在の開山塔は、総高5.10mの比較的小型の木造宝塔で、室町時代末の天文二十五年(1556)の銘が露盤にあったという記録と建築技法により、この頃に建てられたものと考えられています。一階は八角形の土台に八本の円柱を建てて円筒状とし、上端に厚板の亀腹、側面の四方に棧唐戸(扉)を設けています。二階は一階床から立て上げた円形の軸部(中心部)の上部に組物を置き、方形の屋根を支えています。屋根は板で葺いた「とち葺き」で勾配が急になっています。塔の先端にある相輪は欠損していましたが、昭和三十九年の解体修理により復元したものです。なお、この修理の際に、基壇の下から火葬した人骨を納めた須恵器製の蔵骨器や飾り金具など(埼玉県指定文化財)が発見されています。
慈光寺開山塔は、独特の建築技法とともに国内唯一の室町時代の木造宝塔として、極めて貴重な存在であります。(案内板より)

慈光寺山門

慈光寺山門

本堂(納経所)

慈光寺本堂

本堂には、手前に辨財天・仁王があり、正面左奥から如意輪観音・地蔵菩薩、勢至菩薩・阿弥陀如来・観音菩薩と並び右側には手前から千手観音・慈覚大師・元三大師・伝教大師・不動明王が置かれています。納経は右奥で行っていました。
さらにその奥には釈迦堂の遺品・薬師如来・昭和60年に焼失した蔵王堂より救出された焼けた蔵王権現立像が佇んでいます。

時の鐘と多羅葉

時の鐘

時の鐘
鳴鐘の偈(鐘をつく時の言葉)
願以鐘聲超法界がんししようせいちょうほうかい
鉄園幽暗悉皆聞てっちゆうあんしっかいもん
三途離苦生安養さんずりくしょうあんにょう
一切衆生成正覺いさいしゅしょうじょうしょうがく

多羅葉たらよう
本堂の前には多羅葉の木があります。モチノキ科の常緑喬木で幹回り2.7m、高さ18m葉の表皮に棒などで字が書けるので「郵便葉書」の語源となりました。慈覚大師円仁(794~864)が天長年間に植えられたと言われています。

般若心経堂

本堂から般若心経堂へ向かう途中に申八梵王の石像があります。

猿は、古くから山の神、もしくは山の神の使いとして、信仰されています。山に出入する人たちが、この石像を 「お猿さん」とか、「申八梵王」と呼んで信仰し、親しまれてきました。これは、地元、雲河原村(現在の都幾川村大字雲河原)産出のことど石を彫刻したものです。
(掲示板より一部抜粋)

慈光寺経妙法蓮華経授記品

般若心経堂内には、国宝「慈光寺経妙法蓮華経授記品」の復元を見ることができます。

般若心経堂の先には二十三夜塔と弥陀一尊種子板碑があります。
弥陀一尊種子板碑には、光明遍照・十方世界・念佛衆生・摂取不捨の文字が刻まれています。

慈光寺観音堂

慈光寺観音堂
慈光寺観音堂
夜荒らしの名馬

観音堂は、入母屋造・銅板葺きの屋根、軒は二重繁垂木とし、本尊を安置する内陣の柱は円柱で三間(約5.4メートル)四面です。前方に十二尺三寸(約3.7メートル)出して礼拝の間(外陣)を設け、その前方には一間の軒唐破風付きの向拝を出しています。外陣は吹き放しで、履物のまま昇殿できる様式は札所建築の特徴でもあります。さらに細部を見ると、柱ごとに彫刻木鼻をつけ、虹梁に細かい文様の地彫または彫刻を施し、その上は彫刻欄間で飾っています。 内陣は格天井とし紋尽くしの文様を画き、来迎柱には極彩色が施されています。なお、外陣に千手観音の眷属である風神・雷神をはじめ二十八部衆の欄間彫刻があることは特徴でもあります。
本尊千手観音立像は秘仏ですが、毎年四月第二日曜日と十七日に厨子が開かれ拝観することが できます。
堂内には廃絶した山内諸堂から木造十一面観音立像・木造毘沙門天立像が合祀され、外陣には賓頭盧尊者坐像、その天井には伝説の「夜荒らしの名馬」が安置されています。

御朱印

慈光寺御朱印

宝印 円形に梵字光明真言を書き円内に釈迦如来の種子と本尊千手観音の種子
墨書 都幾山/千手大悲閣/慈光寺

寺院情報

宗派天台宗
山号都幾山
寺院名慈光寺
御本尊十一面千手千眼観世音菩薩
御真言オン・バザラ・タラマ・キリク
御詠歌聞くからに 大慈大悲の 慈光寺 誓いも共に 深きいわどの
公式HPhttps://www.temple.or.jp/
住所埼玉県比企郡ときがわ町西平386
電話0493-67-0040

アクセス

坂東三十三観音札所一覧

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