坂東札所第十三番 浅草寺(浅草観音)

観音堂

浅草寺は広い敷地に多くの建物や仏像があり、ゆっくり見て回るとかなりの時間がかかります。
また、観光客がすごく多く、仲見世通りから観音堂内へと行列ができています。

浅草寺チェックポイント

  • 雷門と提灯の底の龍の彫刻
  • 五重塔
  • 宝蔵門(仁王門)
  • 観音堂
  • 胎内くぐりの燈籠
  • 天水桶

浅草寺について

推古天皇三十六年(628)三月十八日、檜前浜成・竹成の兄弟が隅田川に漁撈中、観音さまのご尊像を感得しました。 土師中知はこれを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依し、礼拝供養に生涯を捧げました。

大化元年(645)、勝海上人がこの地においでになり、夢告によりご本尊をご秘仏と定められました。平安初期には、慈覚大師円仁さまが来山され、お前立のご本尊を謹刻されました。鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、江戸時代に徳川家康公によって幕府の祈願所とされ、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として大きく繁栄しました。かくして都内最古の寺院である浅草寺は、浅草観音の名称で全国的にあらゆる階層の人たちに親しまれ、年間約三千万人もの参詣者がおとずれる民衆信仰の中心地となっています。(観音堂内案内板より)

浅草寺案内図

準備中

浅草寺雷門

浅草寺雷門

12月29日に訪れたこともあって、かなりの人でにぎわっていました。
雷門の正式名称は風雷神門といいます。
入口側は風神と雷神が、くぐり抜けた反対側は天龍と金龍の龍神像が安置されています。

宝蔵門(仁王門)

宝蔵門(仁王門)

経蔵を兼ねて経典(元版一切経)や寺宝を収蔵することから仁王門から宝蔵門と改称されたそうです。

二天門

二天門

この二天門は、慶安二年(1649)頃に浅草寺の東門として建立されたようですが、江戸時代を通じて浅草寺観音堂の西側に建てられた東照宮の随身門と伝えられ、随身像が安置されていました。なお、浅草寺の東照宮は元和四年 (1618)に建立されましたが、寛永八年(1631)と同十九年の火災によって、浅草寺の他の諸堂とともに焼失し、 その後東照宮は江戸城内の紅葉山に移されました。
明治初年の神仏分離令によって門に安置された随身像は、仏教を守護する四天王のうち持国天・増長天の二天像に変わり、名称も二天門と改称しました。

浅草寺観音堂

浅草寺観音堂
龍之図、天人之図

観音堂内天井に描かれた絵の中央が龍之図、左右が天人之図・散華之図と呼ばれます。
扁額に書かれた字「施無畏」は天台宗の僧侶であり書道家の豊道春海の筆によるものだそうです。

五重塔

五重塔

塔の最上部にはスリランカのイスルムニヤ寺院から奉戴した仏舎利が納められているそうです。

影向堂ようごうどう(納経所)

影向堂

堂内入って左手に浅草七福神の大黒天(別名米櫃大黒とも呼ばれる)が安置されています。
正面奥には左より阿弥陀如来・不動明王・大日如来・勢至菩薩・聖観世音菩薩・普賢菩薩・文殊菩薩・虚空蔵菩薩・千手観世音の順に並んでいます。
たくさんの方が御朱印をいただくために入口右側より並んで受付しましたが、複数の方で書いてくださっており、あまり待たずにいただくことができました。

銅造観音菩薩坐像

銅造観音菩薩坐像
観音菩薩坐像は銅製、鋳造、鍍金で、大きさは総高が169.5cm、像高は99.5cmです。
本像は享保五年(1720)に尾張国知多郡北方村(愛知県美浜町)出身で諸国を遊行した廻国聖、孝山義道が発願し、神田の鋳物師、小沼播磨守藤原長政が制作しました。また本像の蓮華座は、元禄十五年(1702) 造立の阿弥陀三尊像の脇侍 (勢至菩薩)のものとして、小伝馬町の鋳物師宇田川善兵衛が制作したものですが、後に本像の蓮華座へ転用されました(勢至菩薩像は失われています)。

石橋

石橋
現存する都内最古とされるこの石橋は、元和四年(1618) 浅草寺に東照宮(現存せず)が造営された際、参詣のための神橋として造られたものです。寄進者は、徳川家康の娘振姫の婿、紀伊国和歌山藩主浅野長晟です。

六角堂(日限地蔵尊)

六角堂(日限地蔵尊)

六角堂は『浅草寺誌』(文化十年編)に元和四年(1618)の建立とあり、江戸時代初期の建築と考えられ、浅草寺内では最古の遺構です。
木造で単層の六角造り瓦ぶき形式で、建物中央の直径は1.82mあり、一面の柱真々は0.91mです。
建物の基礎は、六角形状に廻した土台を布石の基礎で支え、その下部に十一段の石積みをした1.5m余りの井戸状の穴が掘られています。

橋本薬師堂

橋本薬師堂

当初は観音堂の北方にあり北薬師と呼ばれました。

淡島堂

淡島堂

胎内くぐりの燈籠と天水桶

胎内くぐりの燈籠と天水桶

胎内くぐりの燈籠
江戸時代から有名であったもので、 この灯籠の下をくぐることで、子どもの虫封じや疱瘡のおまじないになるとされています。
天水桶
太平洋戦争が激しくなってきたとき、浅草寺僧侶らによって夜儀が執り行われ、こ の天水桶内にご本尊の観音さまをお厨子ごと奉安し、本堂の地中深くに納めご本尊さまは戦火を逃れたといいます。 戦後ご本尊さまは再び地中より掘り上げられ、その無事が確認されました。

写経供養塔

写経供養塔

銭塚地蔵堂

銭塚地蔵堂

御朱印

浅草寺御朱印

宝印 観世音
墨書 奉拝 
   金龍山 
   サ(梵字)聖観世音 
   浅草寺

いただいた年によって御朱印も少しずつ変わっているようです。

寺院情報

宗派聖観音宗
山号金龍山
寺院名浅草寺
御本尊聖観世音菩薩 (あさくさかんのん)
御真言オン・アロリキヤ・ソワカ
御詠歌ふかきとが 今よりのちは よもあらじ
つみ浅草に まいる身なれば
HPhttps://www.senso-ji.jp/
住所東京都台東区浅草2-3-1
電話03-3842-0181

アクセス

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