岩井堂

秩父札所二十六番 圓融寺

 圓融寺奥の院の岩井堂までの道は、 300段以上の石段を登った先にあり、静かな山間にひっそり佇んでいます。私は昭和電工さんの受付から工場内を通らせてもらい、 神社の脇を入った駐車場から岩井堂に登りそして降りてから27番の大淵寺に行き、裏山にある護国観音へ登って降りてきました。他では円融寺に訪れてから奥の院へ向うのではなく大淵寺の護国観音から岩井堂を目指すルートを選ばれる方もいるようです。そちらの方が登り降りが1回で済むので無駄な体力を使わずはるかに効率がいいのかと思いましたが、実際には上り下りが数度あるので決して楽とは言えませんが。

納経所
納経所の呼び出し鐘

圓融寺えんゆうじについて

 この山に弘法大師が止錫し護摩の修法をされ、その間に霊感を得られたそうです。のちに惠心僧都が本尊聖観音像を安置し村人を促がして堂宇を建立したそうです。そして秩父太郎重弘が再興したといわれます。観音堂を管理している圓融寺には貴重な絵馬や勝軍地蔵像などがあります。

圓融寺の見どころ

圓融寺境内案内図

山門と観音さま

山門
観音様と摩尼車

山門脇の観音様と摩尼車
10月の初めに訪れましたが、すでに紅葉が始まっていました。

子育て子供地蔵菩薩

子育て子供地蔵菩薩

山門を潜り抜け左手に 手水鉢がありその先に子育て子供地蔵菩薩さまが鎮座してます。
「お子様の健やかな成長をお祈りして頭を撫でてください」

本堂

本堂

本堂奥に厨子があり前立観音、右側に弘法大師、左側に聖観音、更に左に観音様が鎮座しておりその手前に「景清の牢破」の絵が置かれています。その左にある絵について納経所の方に尋ねると烏山石燕の「石山寺秋月の図」の絵ということだそうです。
本堂には昭和33年7月鎌倉時代の作といわれる勝軍地蔵なども安置されています。

鳥山石燕の納額「景清のろう破り 一面」

景清のろう破り

納額の大きさは、縦86.5センチ、横58センチ、厚さ2.5センチで、写真のように桧板三枚に歌舞伎の名場面の一つである「景清のろう破り」と雲上から見守る白衣観音を描いている。牢格子や観音から発する光明に鉄材を用いて立体感を出すなど、工芸的な要素をもつ絵画である。

向って右隅に「鳥山石燕画」の署名、その下に雅号「零陵洞」の円印と「豊雲」と刻した方印が捺され、左側には奉納者「江戸小石川・宮下町田辺久作、五軒町・野島権左衛門」と「明和元申八月」(1764)の年号が墨書されている。江戶護国寺では、明和元年7月から秩父札所の総出開帳を行なっており、この納額はその際に奉納されたものです。

岩井堂(奥の院)

岩井堂

岩井堂へ行く昭和電工からの駐車場手前に太子堂があります。そこから険しい石段を登った先に清水寺に似た舞台づくりの観音堂が岩山に建っています。

岩井堂

堂内には厨子がありますが、本尊は円融寺に安置されています。

石仏群

観音堂の裏側には百万佛供養塔や宝篋印塔・閻魔大王などの石仏が安置されています。
ここから修験堂へ向かうところに おくのいん道と刻まれた道標があります。

修験堂

聖観世音菩薩
修験堂

修験堂へ向かう途中には聖観世音菩薩さまが鎮座しています。その脇を少し進むと修験堂の建物が見えますが、2回目に訪れたときは堂内にスズメバチの巣があるので聖観世音菩薩さまのところに、危険ですのでここで引き返してくださいと表示がありました。
掲載している写真は1回目に訪れた時のものです。
堂入口には名前があるらしく表示がついていました。等覚門修行門妙覚門」最初に入った門に表示があったか確認できませんが、修験道には発心門というのがあるらしいので、おそらくそれかと。

妙覚門には、熊野弐所大権現を中央に、右に秩父丗四ヶ所観世音菩薩、左に金毘羅大権現が祀られています。その下には大天狗と小天狗が祀られています。

観音霊験記と御朱印

観音霊験記

秩父次郎重忠
この寺は重忠の祖父の代より信奉され重忠は特に信奉して多くの霊験を受けた

御朱印

墨書き 岩井堂、聖観世音 円融寺
三宝印 佛法僧寶

寺院情報

宗派臨済宗建長寺派
山号万松山
寺院名圓融寺
御本尊聖観世音菩薩
御真言おん あろりきゃ そわか
御詠歌たずね入り むすぶ清水の 岩井堂 こころの垢を すすがぬはなし
住所埼玉県秩父市下影森348
電話0494-23-8838

駐車場

駐車場
圓融寺
駐車場
昭和電工先の駐車場

お手洗い

お手洗い

休憩所

休憩所

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