
山門にある「御室山」の扁額は、江戸時代に別所村(五百八十三石)を知行した旗本の筒井政憲 (知行高二千二百石)の書になるものです。政憲は、長崎奉行・江戶南町奉行などを歴任、ロシアのプチャーチン来航時には大目付兼応接係として日露和親条約を締結しています。
境内案内図

山門

本堂

円福寺は、古義真言宗の寺で、正式名を御室山金剛院円福寺といいます。
新田氏第四代の新田政義が開基した寺と伝えられ、政義が京都御室仁和寺から招いた阿闍梨静毫が初代住職といわれます。
『吾妻鏡』によれば、新田政義は、寛元二年(1244)京都大番役として在京中、幕府の許可を得ず突然出家したため幕府の咎めを受けて所領を没収され、由良郷別所の地に蟄居することとなりました。 円福寺が開かれたのはその頃と考えられます。
境内には、大型の前方後円墳茶臼山古墳が存在し、その前方部東裾には新田氏累代の墓と伝えられる二十基余りの凝灰岩製の石層塔・五輪塔群があり、そのうちの一基には元亨四年(1324)に「沙弥道義」(新田義貞の祖父新田基氏の法名といわれる)が七十二歳で逝去したことが記されています。
円福寺には円福寺一山絵図が所蔵され、安政四年(1857)に木崎宿の画家角田岱岳が「往古之図」を模写したものです。円福寺東側に釈迦坊・大日坊・光明坊など十二の塔頭 (小院)を配し、中世において繁栄していた様子を示していると考えられます。 また、「出丸要害之地」や「新田由良入道居館要害地」など、かつての城館跡などを推定させる記述も見られます。
観音堂


堂内は正面扉の格子より中を拝観することができます。
正面には千手観世音菩薩が鎮座しています。
左右には千羽鶴が吊り下げられています。
馬頭観音堂


石憧

この石幢の形式は重制石幢と言われるもので、総高142cmで、安山岩で作られています。宝珠・請花・笠・中台は、造立後に欠損部を補ったものと推定されています。龕部は七角形で七地蔵像が刻まれ、幢身には長享三年十月廿四日(1489室町時代)の年がある銘文があります。銘文によると、道見が本願主となって性仲上座を始め、八名のために造立したことがわかります。また、造立日を二十四日としたのは、地蔵の結縁日に因んだものと考えられています。
新田氏累代の墓

アクセス
札所情報
観音名 | 別所観音 |
寺院名 | 御室山 金剛院 円福寺 |
札所御本尊 | 千手観世音菩薩 |
御真言 | オン・バザラ・タラマ・キリク |
御詠歌 | 御室山 峰の松風 おとづれて 千手の誓い 耳に触れぬる |
住所 | 群馬県太田市別所町387-1 |
電話 | – |
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