
当初の十二番札所は清水寺で、近所の相場家が所有する観音堂だったそうですが、現在観音堂はなくなり恵林寺に合併したそうです。
そのため現在の十二番札所は恵林寺となっているようです。
笑岩山恵林寺は、曹洞宗の寺で、常陸国(茨城県)金龍寺の末寺だそうです。創建については諸説あるそうですが、寺伝によりますと、矢場国隆の子、矢場植繁が永正十七年(1520)に父母の菩提を弔うために建立、開山は、植繁の二男大年宗彭とされます。寺号は、国産とその室の法名(笑岩院殿笑岩性忻居士 恵林寺殿恵林性智大姉)にちなんだものといわれます。
境内案内図

山門

山門入口の左手には、奉納秩父西国坂東百番供養塔と法華千部供養塔が建てられています。
薬師堂


目が描かれた絵馬が奉納されています。
観音堂


観音堂の中には厨子や仏像などはありませんでした。
壁面上部や天井には花の絵などが残されています。
又、観音堂の後ろには、地蔵菩薩・奉讀誦大乗妙典拾千部塔・般若塔・奉読誦大乗妙典千部・廿三夜の各塔が建っています。
本堂

本堂の中には観音境内模式図や相場観音経塚の資料が展示されています。
経塚は、仏教の作善のひとつです。恵林寺の南東約150mにあった清水寺境内で見つかった相場観音経塚は、妙法蓮華経や大般若波羅蜜多経を1字あるいは複数字ずつ石などに書いて埋めたもので、 2か所(1号経塚・2号経塚) で合計 193,367 個見つかりました。
石仏群

山門を入って左手に庚申塔などの供養塔が佇んでおります。
矢場氏墓石群

矢場氏墓石群は本堂の裏の方にあります。
矢場氏は、矢場の地に金山城の支城である矢場城などを構え戦国時代に活躍した一族です。始祖は矢場惣左衛門国隆で、金山城主新田(岩松)家純の重臣横瀬国繁の弟です。
墓石群は、昭和六十一年・六十二年に保存整備事業として発掘調査および復元整備が行われ、現在本堂南の基段上に整然と林立しています。五輪塔がほとんどですが、宝篋印塔、石幢などもみられ総数四十数基におよびます。これらの中には、銘文を陰刻したものが数点見られ、矢場氏研究上重要なものだそうです。(案内板より抜粋)
アクセス
札所情報
観音名 | 矢場観音 |
寺院名 | 清水寺 (現在 笑岩山 恵林寺) |
札所御本尊 | 聖観世音菩薩 (馬頭観世音という情報もあり) |
御真言 | オン・アロリキヤ・ソワカ |
御詠歌 | 十悪も 誓いの御手に 滅ぶべし 大悲の弓に 知恵の本矢場 |
住所 | 群馬県太田市矢場町3041 |
電話 | 0276-45-0282 |
東上州三十三観音霊場札所一覧
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