札所1番 宝福寺(大同観音)

宝福寺(大同観音)

写真右側は地蔵堂と言われるらしいが、扁額は太子堂となっています。
観音堂の左にある石碑は「大施餓鬼會創設一百年記念碑」です。

こちらの寺院は閉門となっており、中へ入っての巡礼がかないませんでした。(残念)

境内案内図

宝福寺境内案内図

2010年頃には、入口のところに看板がかけられ、参拝の方は左記へご連絡くださいとあり、実相寺(納経所)へや担当の方の電話番号が表示されていました。現在は何も表示されていません。

観音堂

宝福寺観音堂

観音堂の左の石塔には「安産子育観音」と右側には東上州三郡坂東第一番札所と表示されています。

性信上人堂

宝福寺 性信上人堂

性信上人堂の脇に掲示されている「性信上人縁起と親鸞聖人書状二通」について
大きさは、「性信上人縁起」が、縦36cm、横23cm、「親鸞聖人書状」は、縦26cm、横39cmです。「性信上人縁起」は作者不明ですが、文章は非常に名文です。 おそらく浄土真宗の教義をよく理解している近世中期の高僧が著したのではないかと推測されます。「親鸞書状」は二通とも性信上人に宛てたもので、2月11日と9月8日付のものです。真筆ではなく、木版刷りです。そのため、時代は、明らかではありませんし、またどのような目的で刷られたものなのかも判明していません。 おそらく性信上人が布教のために用いたのではないかと推測しています。

木像性信上人坐像
性信上人坐像は、像高が84.5cm、身幅が40cmです。 彫法は、質素の中にも厳しさがあり、□□にのびのびした大胆なノミさばきを見せています。鎌倉時代中期の作と考えられています。
性信上人は、親鸞の弟子24輩のうち第1高弟浄土真宗の開祖親鸞が流罪を解かれ、新潟より関東へ入る際、性信が、道案内を務めたとされています。
宝福寺の場所については、「むさしのくにやらん かんづけ(上野) のくににやらん さぬきともうすところ」と記しています。板倉が国境にあるため、位置の判断を迷ったものと考えます。(案内板より一部抜粋)

中に入れないため、遠くから看板を見ているため誤字についてはご容赦ください。

宝福寺本堂

宝福寺本堂

アクセス

札所情報

観音名大同観音
寺院名大同山 宝福寺ほうふくじ
札所御本尊如意輪観音
御真言オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン
御詠歌おしなべて 祈る心は 大同の
寺に参るも 後の世のため
住所邑楽郡板倉町大字板倉2406
電話

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