
正法寺は高野山真言宗の寺で、山城国(京都府) 醍醐寺開山の聖宝が源経基の誓願を受けて、延喜年間(900~922)に創建し、古くは萬明山聖徳院聖宝寺と呼んだと伝えられます。寺名の脇屋山正法寺は脇屋義助の法名「正法寺殿傑山宗英大居士」によります。
境内案内図

参道を進むと、右手に二十三夜塔や大日如来の種子が刻まれた石塔があります。
仁王門をくぐり抜けると左手に光明真言供養の看板があります。
光明真言は大日如来を拝むお経です
おのれを空しゅうして一心にとなえると みほとけの光明に照らされてまよいの霧おのずからはれさわやかな心 円満な心になると教えます。
おん あぼきゃべいろしゃのう、まかぼだら まにはんどまじんばら はらばりたや、うん
その隣にはお掃除小僧が佇みます。
お掃除小僧はお釈迦様の弟子の一人、 周梨槃特(チューラ・パンタカ)をモデルにしました。他の弟子や兄のマハー・パンタカと違い、学問や、知識によらず朝から晩まで毎日毎日お掃除すること、つまり「専念すること」により、ついにはお釈迦様の教えを会得し、羅漢にまでなったとされています。
仁王門

仁王門は貞享二年(1685)に建立、享和三年(1803)に改築されたと伝えられます。重層桟瓦葺き入母屋造りで、間口約9m、奥行約5.4m、高さ約12mの楼門です。中央の通路をはさみ、左右には仁王尊を配置しています。
屋蓋の傾斜は強く、破風は大型で、よく江戸期の作風を残しています。軒廻りは出組二軒で地垂木は並行、軒の反りは極めて小さいです。二層には豊かな勾欄を巡らし、初層軸部の木割りは細いですが、陸梁・出組の調和がよく、山門にすぐれた安定感を与えています。(案内板より)

正法寺大鰐口縁起由来
脇屋山正法寺の大鰐口は(530k・2m)貞享二年今から287年前鋳造、観音堂と二王門の間に鰐口堂ありて懸けられましたが、明治末期、堂の老朽化に伴いて現在の仁王門に懸け替えられました。 その音色は天地万物の動きに応じて諸行無常を説き人々の心の奥に眠りし佛の心を揺り起こします。
観音堂


堂内は入れませんが、扉より中を拝観すると中央に正法寺聖観音像の下部を見ることができます。
この観音像は高さ155cmの立像で、ヒノキ材を使用した寄木造りです。頭部に宝冠を刻み、その下に高い宝髪を調和よく繊細に表しています。顔はやや面長ですがふくよかで、輪郭は引きしまっています。眼は半眼の彫眼です。 肩の張りは自然で胸から腹にかけて盛り上がり、腰部へかけて持つ豊かなリュームとそれを包む衣の襞は美しく、安定感を与えています。各部は均整がよくとれ、繊細であるとともに、すっきりした爽快な感じのする像です。
首はさし首で、胴体は左右矧ぎ、両肩のつけ根のところで別木をあてています。 漆箔を施してあり、金箔が部分的に残っています。 写実的、理知的な手法を多分に用いており宝冠、顔の一部、衣文等に藤原時代の様式が見られますが、鎌倉時代初期の作品と考えられます。
石仏群

アクセス
札所情報
観音名 | 脇屋観音 |
寺院名 | 脇屋山 聖徳院 正法寺 |
札所御本尊 | 聖観世音菩薩 |
御真言 | オン・アロリキヤ・ソワカ |
御詠歌 | 尋ねても 祈りをかけよ さしもくさ 正しき法の 寺を印に |
住所 | 群馬県太田市脇屋町562 |
電話 | 0276-32-0564 |
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