山門
この山門は、入母屋造平入、銅瓦葺の一間一戸の四脚門で、平面規模は正面3.373m、側面3/370mである。正面に千鳥破風を付け、正面を向唐破風としています。柱は円柱とし、出組を置く。軒は二軒繁垂木、妻飾は虹梁彫刻充填。万延元年(1860) 建造と伝えられて、建物全体が欅の素木造で、虹梁の唐草絵様・木鼻・台輪や虹梁上部・妻飾などに見事な彫刻が施されています。(案内板より一部抜粋)
百体観音堂
堂内は扉から拝観することができず、となりの格子窓の下に中をうかがえそうな窓がありましたのでそこから拝観しました。百体観音(西国・坂東・秩父)と言われるように左右には仏像がたくさん並んでいます。
石仏群
観音堂の左手には沢山の石仏が佇んでいます。中には梵字で書かれた石仏がありますので詳しい方は解読をお願いします。
阿弥陀如来坐像と鐘楼
本堂
地蔵堂
お堂の紹介が見当たらないのですがね中に鎮座している仏像は地蔵菩薩のようです。
大蓮院殿(小松姫)の霊廟と墓
御廟内には本多立ち葵と真田の家紋の幕がかけられています。中央に位牌が置かれ両脇には仏像等が安置されています。
大蓮院殿の墓
真田初代沼田藩主信幸 (之)の夫人である大蓮院殿は、徳川家の重臣本多忠勝の娘(稲)で小松姫と呼ばれていた。家康は小松姫を養女として天正十七年(1589)に信幸に嫁がせた。翌年七月信幸は沼田城主となり、慶長五年(1600)の関ヶ原の役において徳川方に従い、東軍に付くことになった。敵味方に別れた信幸の父昌幸、弟信繁(幸村)が佐野犬伏から上田に帰る途次に沼田城を訪れた際、入城を拒んだ大蓮院殿は女丈夫とうたわれた。元和六年(1620)に病み、二月に療養のため江戸から草津に来る途中の同月二十四日に武蔵国鴻巣で没した。享年四十八歳。同所で火葬、分骨して同所勝願寺、沼田の正覚寺、上田の芳泉寺にそれぞれ葬られた。法名は 大蓮院殿英誉皓月大禅定尼。
この墓は総丈271センチの宝篋印塔。塔身に、「阿弥陀三尊(梵字) 大蓮院殿 英誉皓月 元和六年庚申二月廿四日 施主敬白」の刻銘がある。相輪の蓮華が細かく屋蓋の彫りは強く、塔身・基礎は荘重な形で、江戸時代初期の宝篋印塔の特徴を良く表している。(案内板より)
アクセス
境内案内図
札所情報
堂名 | |
寺院名 | 法蔵山 大蓮院 正覚寺 |
御本尊 | 百観音 |
御真言 | |
御詠歌 | ここを去る 遠からざりし 極楽の 八功徳池と 見ゆる利根川 此所をさる 遠からさりし 極楽の 八功徳池と 見ゆる利根川 爰をさり 遠からざりし 極楽の 八功徳池と 見ゆるとね川 |
住所 | 群馬県沼田市鍛冶町938 |
電話 | 0278-22-2959 |
沼田坂東三十三観音霊場札所一覧
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