登戸住民センターが札所となっているせいか、納札を案内板の柱に打っています。
登戸住民センター
登戸住民センターへの階段入り口脇に 御詠歌碑があります。
群馬県史などに掲載されているのと少し表現が違っています。「むらさきの 雲たつ山を 越えゆけば 法にあう地の 石に花さく」
本尊は木彫りで1メートル余りの立像。伝承では「大宝元年行基菩薩この地に来たり、十一面観世音を彫刻、花咲石のかたわらに安置、人々の仏果を祈る」といわれている。その昔から、この観音堂は村の人々の集まりの場として多くの人々が利用しそのたびにこの本尊を、拝しながら大きな囲炉裏で焚火をしていた。十一面観世音は、その名の如く全部で十一の顔をもつ観音様で、本顔の頭上、前の顔の三面は慈悲の相を、左の三面は瞋怒(怒り)の相、右三面は白牙上出(笑い)の相、あと中央一面は暴悪・大笑の相で、頂上の仏面は仏果を、他の十面は十地を意味して十一品の無明を断ずるといわれている。
この観音堂は、利根郡三十三番札所の一つで三十番札所になっている。(案内板より一部省略)
石仏群
写真に見える石仏は右より、武尊山・南無阿弥陀仏・祠・墓石?と並んでいます。
石段のすぐ右側には馬頭観世音と二十一夜塔が佇んでいるのですが、植物に覆われて見えなくなっています。
花咲石
十一面観音菩薩が花咲石の傍らに初めは安置されたとのことですので、道路向かい側にある花咲石のいわれを紹介します。
昔、日本武尊命が東国の征服に来ての帰り、この辺りで保鷹山の賊(悪勢ともいう)と戦になりました。険しい岩山にこもる賊に手をやいた命は、敵のとりでを囲んで火を放ちました。賊の長は、これで自分の命は終りだが、妻子たちの命だけは助けたいと思い抜け穴から逃がしました、ところが出口にも火がまわり助けることができませんでした。するとどうでしょう、やけどを負った長の奥方の体は、みるみるうちに大きな石となり一夜明けて村人たちが見ると、石の表には一面にうす紅色の牡丹の花びらの模様がまるで今しがた咲いたかのように浮きたっているではありませんか。ところがどうした訳か、この年から村に疫病がはやり多くの人々が、病に苦しみ亡くなって行きました。村人達は滅ぼされた賊たちの怒りのせいと思い鳥居を建てて丹花石明神として祭った所、村に平和な暮しが戻ったという事です。それでこの石を花咲石といい、この村を花咲村(現在片品村大字花咲)というようになったとの事です。
アクセス
境内案内図
札所情報
堂名 | 花咲観音堂 |
寺院名 | 旧善福寺 |
御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
御真言 | オン・ロケイジンバラ・キリク・ソワカ |
御詠歌 | 紫の 雲たつ山を こえゆけば のりに逢地の 石に花さく 紫の 雲立山を こへゆけは のりにおふちの 石に花さく |
住所 | 利根郡片品村花咲 |
電話 | – |
沼田横堂観音霊場札所一覧
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