成身院 百体観音堂

坂東観音

観音堂の鰐口は直径180cm、厚さ60cm、重さ750kgある大きな鰐口です。表には「施主 惣村中、十方萬人講中、西村和泉守」が、裏には「世話人二十三名、寛政七年(1795)乙卯春三月」の陰刻があります。
また、観音堂の左にある唐銅造大日如来座像は、高さ85cmの金剛界大日如来像で、台座には「御鑄工武州金屋住倉林治兵衛国義 補鑄工野州佐野住丸山林八長暉」とあり、円形光背、蓮台、台座に多数の寺院や氏名が陰刻してあります。金屋鋳物師が郷土に残した数少ない文化遺産の一つです。

成身院さざえ堂について

成身院さざえ堂

日本三大さざえ堂の一つとして知られる成身院百体観音堂。

百体観音堂は、外から見ると二階建てですが、内部は三階になっていて、一階に秩父三十四観音、二階に坂東三十三観音、三階に西国三十三観音、合わせて百体の観音さまをお祀りしています。順路を進むと、中央本尊の聖観音さまの周りを三巡りする仏教で最も丁寧な礼拝ができ、同時に三霊場のお参りができるようになっています。造りが巻貝に似ているので「さざえ堂」とも呼ばれています。

百体観音堂は、天明三年(一七八三)夏におきた、浅間山大噴火の犠牲者供養のために建てられました。大噴火による火砕流と岩屑なだれは、麓の村を一呑みにし、吾妻川に流れこむと、大泥流となって吾妻川・利根川沿いの村々を襲いました。死者干五百人といいます。
成身院隠居の元真は、死者の供養のために利根川の岸辺に壇を建て、近くの寺の僧侶と「法華経一万部真読」を始めました。しかし天明五年、元真は弟子の元映に、真読成就と百体観音造立を遺言して亡くなりました。元映は、真読を達成すると、江戸に上って護摩修行や法要・伝授を行いました。元映の加持祈祷は江戸中の評判になり、百体観音造立のことが知られると次々に寄進する人があらわれて、その数は六十体にもなりました。
寛政四年(1792)には百体の観音像が揃い、三年後に観音堂が完成しました。しかし、この観音堂は、明治二十一年(1888)に焼失してしまいました。
現在のお堂は、明治四十三年(1910)に再建されたものです。(案内板より)

宝金剛寺成身院案内図(観音堂周り)

宝金剛寺成身院案内図

百体観音堂1階

入口を入ったら、正面真っ直ぐに進みます。右側の内部に入れそうなところは出口です。

百体観音堂1階

観音堂へは建物の右側面、写真右端の鉄の扉より入りました。
入口を入った正面に秩父三十四観音札所1番の観音様が見えます。

聖観音菩薩護摩堂

1階正面の聖観音菩薩の護摩堂です。

百体観音堂1階

通路の外側に秩父三十四観音札所の観音さまが置かれています。

百体観音堂2階

1階から2階への階段は狭く急ですのでご注意ください。

百体観音堂2階

2階には坂東三十三観音札所の観音さまが置かれています。

百体観音堂2階

右側には、三仏堂にあった仏さま(釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来)が移転し安置されています。

百体観音堂2階
百体観音堂2階

2階から3階へ登る階段。

百体観音堂3階

百体観音堂のパンフレットには、「右繞三匝(時計回りに三巡りする仏教の礼法)」して百体の観音様にお参りし、別の通路を降りてきます。と紹介されていますが、3階の西国札所の観音さまは反時計回りに順拝となっていますね。

百体観音堂3階

3階には西国三十三観音札所の観音さまが置かれています。
中央には馬頭観世音が安置されています。

百体観音堂3階天井図

3階の天井図

3階から降りる階段は、これも狭く急な階段となっており1階まで降りていきます。

御朱印

成身院御朱印

朱 印 児玉霊場第一番
    成身密院
    仏法僧宝
    日本三大武州小平さざえ堂
墨書き 成身院
    サ(聖観音梵字)大悲閣
    百体観音

アクセス

寺院情報

宗派真言宗豊山派
山号平等山
寺院名宝金剛寺成身院
御本尊聖観世音菩薩
御真言オン・アロリキヤ・ソワカ
住所埼玉県本庄市児玉町小平653
電話0495-72-6742
(本庄市観光農業センター)※木曜定休

さざえ堂一覧

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