信濃札所三十一番 慈眼山 廣福寺(乳出し観音)

慈眼山扁額

廣福寺チェックポイント

  • 五輪塔

廣福寺について

鎌倉、室町時代には立派な寺であった事が推定されますが、盛衰をくりかえし寛永五年、明松寺五世伝龍和尚が中興開基、自ら第一世住職となり、真言宗高福寺から曹洞宗広福寺に改められ以後今日迄広福寺として続いています。

当時信徒の中の大半が貧しい生活のため米など盆、正月以外は食べる事が出来ず、お産をした母親は栄養不足から、乳の出が悪く死んでゆく赤子が多かった時代でした。これを救うために観音さまへお参合(お米三合)をお供えし、又供えてあるお米をいただいて食べる事により乳の出が良くなり多くの生命が救われた為、誰言うとなく乳出し観音として広まり隆盛をきわめました。

震災後助った人々は観音さまのお蔭と信仰はさらに深まると共に農耕馬を持つ人達により観音講が作られました。又広福寺の庭において年一回馬の地輪(馬の健康診断)が行われ、数百頭の馬がおとずれ盛況をきわめました。

廣福寺案内図

広福寺案内図

バイクで巡礼しているので、観音堂のすぐそばまで行きましたが、手前にトイレがある駐車場があります。

廣福寺五輪塔

広福寺五輪塔

室町時代初期の貴重な石造り文化財です。弘化の大震災によって、寺と共に土砂に押し潰されましたが、村人達によって掘り出されました。幾年代に渡り建立されましたので、石質、作風が違っていて、只一つ中央のものが揃っています。

廣福寺観音堂

広福寺観音堂

正面の扉から中に入ることができます。(土足厳禁にて)

広福寺観音堂

廣福寺 木造聖観音立像
木造聖観音立像は、肉身部の奥行きが浅く正面性の強い造像です。檜一材の内刳を施し、髪際一文字の下に刻まれた切れ長の俯瞰する眼差しや口元、のびやかな躰躯は静かで気品があります。また、条帛、天衣、二重裳の衣文は、極力煩瑣なたたみ方を拝し、単純にまとめあげています。像全体に後世の補修は多いですが、一木内刳を施した均衡のとれた立像として造像時の面影を残しています。(案内板より一部抜粋)

伊折学校発祥の地碑・石仏等

伊折学校発祥の地碑

広福寺では古くから寺小屋が開かれ、明治六年には当時の伊折村、地京原村、梅木村、奈良井村、和佐尾村、椿峰村の六ヶ村組合伊折学校が開校されました。
その記念碑が佇んでいます。

石仏

観音堂に向かう途中にある石仏・供養塔。

御朱印

廣福寺御朱印

宝印 仏法僧寶
墨書 慈眼山
   聖観世音
   廣福寺

納経所の明松寺

廣福寺からはやや遠い納経所の明松寺

寺院情報

宗派曹洞宗
山号慈眼山
寺院名廣福寺
御本尊聖観世音菩薩
御真言オン・アロリキヤ・ソワカ
御詠歌広福寺 誓を頼む 八重桜
峰の嵐も 吹きや散らさじ
住所長野市中条御山里8859
電話御朱印所の明松寺
026-269-2088

アクセス

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