数珠廻し用でしょうか、大きな数珠が床に置かれています。
宗善寺について
村宝十一面観音
信濃三十三番第二番札所の本尊十一面観世音菩薩観音堂は元禄十一年(1698)書上帳によれば、天台宗岩殿寺の末寺光明寺の境内にあったと記されている。また明治□年の「廃寺取調帳」県庁文書には、宗善寺堂□十八坪余、あき地三十□坪とあり元禄以降に光明寺から独立して楊柳山宗善寺と称したものと思われる。
明治初年の廃仏毀釈の折□、臼井家十三代忠兵衛定信が祖先の寄進した薬師如来と十一面観音仏像を仏壇に安置していたが明治三十七年(1904)十三代忠兵衛定信が屋敷内裏庭奥に六角堂を建□□□の後昭和三十一年(19564)臼井千尋が朽ちた堂を再建し十一面観音を護持してきた。
平成八年(1996)11月13日、二番札所として護持管理を容易にするため、十五代臼井良作より十一面観音を麻績村の預かり、法善寺で護持してきた。
平成十二年(2000)4月1日、本尊木像十一面観音菩薩立像の村宝指定を期に、麻績村観光□会が本尊の収蔵庫を平成十四年(20020)10月29日竣工した。
御詠歌
おしなべて 知るも知らぬも 宗善寺
寺へ参るは 後の世のため
羅漢
十一面観音にお供した十六体の羅漢は臼井忠兵衛定信が還暦をすぎた頃、農民美術家池田尚也に師事し晩年まで彫り続けた作品で、臼井家のご厚意で収蔵された。
(案内看板より引用ですが、一部文字が薄く転記間違えの際はご容赦ください)
観音堂案内図
観月苑駐車場から徒歩約5分。
観音堂の御堂のみで石仏等はみあたりません。
宗善寺観音堂
観音様の周りにある木造の羅漢像は、当時千体を超える数を彫られたという一部のようです。
旧本陣臼井家
数年前までは、この家の裏庭に二番の観音様を安置したお堂があったそうです。
これをまとめていて気付いたのですが、近くにある善光寺街道案内図には、宗善寺跡と光明寺跡の場所が表示されていました。
御朱印
宝印 仏法僧寶
墨書 楊柳山 十一面観世音 宗善寺
二番の御朱印は一番の法善寺でいただけます。
寺院情報
宗派 | (元曹洞宗) |
山号 | 楊柳山 |
寺院名 | 宗善寺 |
御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
御真言 | オン・ロケイジンバラ・キリク・ソワカ |
御詠歌 | おしなめて 知るも知らぬも 宗善寺 寺へ参るは 後の世のため |
住所 | 東筑摩郡麻績村麻8059-1 |
電話 | – |
コメント