吾妻札所第十七番 白石沢堂※1(林昌寺)

林昌寺宝篋印塔

林昌寺は、現在17番・24番・26番・27番の札所となっています。

林昌寺の見どころ

  • シダレザクラ
  • 板碑
    文永八 (1271)年二月銘の弥陀一尊画像板碑は、天蓋・瓔珞の下に阿弥陀如来の立像を陰刻し、踏み割蓮華座の下に年号と花瓶一対をつけているそうです。
  • 山門(仁王門)
  • 身代わり地蔵
  • 観音堂の千体仏
  • 小渕恵三の墓
  • おろかものの碑

石水寺跡地案内図

17番札所石水寺跡地案内図

林昌寺案内図

林昌寺案内図

17番札所石水寺跡地

17番札所石水寺跡地
17番札所石水寺跡地

石水寺跡地には石仏がいくつか残されています。ここへのアクセスは案内図を参考にしてください。グーグルマップには表示されていない道をとおり、途中 石垣のある道で折り返すように登っていきます。途中左方向へ草むらを進むと 跡地の石が詰まれたところへたどり着きます。
中之条は山ヒルが増えている地域ですので注意。

※吾妻札所第十七番横 湯峰横堂

湯峰横堂が17番横と紹介されていることが多いのですが、一部18番で紹介しているのもありました。
場所は沢渡の虎屋前にあったと紹介されています。
山号・寺院名 湯峯山済泉寺(清泉寺)
御詠歌 「人の身に薬とならん湯のみねへ、参る心にくるしみもなし」
近くの中之条草津線(県道55)沿いに北向三十三番觀世音があります。

明治三十四年は凍霜害の被害をはじめ作物の実りも悪く困窮の年でありました。またこの沢田村は去る二十九年には村全体が赤痢に襲われ多数の犠牲を出したそのおそろしさもさめない時でもありました。その翌年の正月、石工湯本乙吉が久森の高平和作をたずね困窮で困っているので食べるだけでいいから何か仕事をさせてほしいと頼んだのです。
村では赤痢で身うちや知人をたくさん失いまた病苦とのたたかいのおそろしさも体験したばかりなので村の人達と相談の上、先亡者の慰霊と天下泰平、村民安穏、現世利益を祈願してここに観世音像を造立することを決めたのであります。
場所は高平和作の本家高平定八所有の山で温泉に近い北向のこの斜面を借り受け、石は和作の娘のとゆぎ先の同村大字折田の和田屋こと関本定二の山の石をもらい村中の合力により運ばれたのであります。
石工は蚕屋で生活し、食事は大麦のひき割りと稗でそれに味噌と野菜だけであったといわれています仕事は湯本乙吉外四名で三ヶ月余をかけて仕上げたものです。その後毎年七月二十七日には久森前尻部落の人たちの手によって「お山刈り」と言い、まわりの草刈りや掃除などをして供養とお祈りをしています。
なおこの観音様は大慈大悲のみ心があついといわれて現世利益、後生安楽を願い参詣される方々がたくさんあり ます。(案内板より)

林昌寺山門

林昌寺仁王門
林昌寺山門
林昌寺山門の彫刻
金剛力士像阿形
金剛力士像吽形

林昌寺の山門はとても大きく立派で、金剛力士像や彫刻など素晴らしいです。門の反対側右には 不動明王・観音様と「め」の絵馬がかけられています。左側は閻魔大王などの 十王像が祀られています。

観音堂

観音 堂内には19世和尚が寺院・お堂の仏像が粗末にされているのを嘆き保存と供養のためこれらを集めて祀ったとのことです。
こちらの寺院は17番札所・24番札所・26番札所・27番札所の合祀となっていますのでそれぞれの御本尊さまがいるのでしょうか。中には入れないのでわかりませんがもしあるようでしたら、わかるようにして下さるといいですね。

林昌寺本堂

林昌寺本堂

本堂入口左には身代わり地蔵さまが鎮座しています。石仏で座る姿のお地蔵さまは珍しいとのことです。本堂の屋根など六文銭の寺紋が確認でき、真田家との関係がうかがい知れます。

身代わり地蔵菩薩由来
宝満山林昌寺開基(中興)矢澤頼綱上和泉の合戦の折、敗走の背に敵兵弓矢貫ぬかんとする利那味方の一兵卆身代りでこれを救う、夢枕に地蔵菩薩が顕現し、「我遣いせし者なり」と仰せられた。
その后隠居した頼綱は中之条町字横尾に閑居堂塔を建て地蔵尊を祭起し 戦没者の供養と追想に暮れた。
川田村武将小林文右衛門が舎弟宗閑が仏縁にふれ頼綱の志を継承すべく養子として永く御回向申し上げたが戦国の世、真田家の沼田藩改易に伴い小林家川戸村に移住す。門徒菩提寺当山本堂前に如法の地蔵尊を造営開眼、その后250年に亘り中之条町・伊勢町地区に於ては天災・人災・大過なく御守護載き熱心に崇拝されていた。
各戦役にも矢よけ地蔵、弾よけ地蔵として参拝数多くなり、季移り科学万能の風潮著しい昨今、人心世相の荒廃も瞠目の日々 必ずや地蔵尊の法力、切德が光輝する。(案内板より)

宝篋印塔

宝篋印塔

こちらの宝篋印塔の 細工は類を見ないほどの素晴らしいということだそうです。側面に刻まれた文字の初めの方には供養という文字が確認できますので供養塔として建てられたものだと思います。

林昌寺鐘楼

林昌寺鐘楼

おろかものの碑

おろかものの碑

愚かな戦争を絶ち、平和への祈りから建立されたそうです。

弁天三尊

弁天三尊

中央は頭上に宇賀神を乗せた弁天様で、脇侍が向かって右に大黒様、左に毘沙門天です。
その左側に見える碑は27番のものらしく「奉順礼観世音菩薩一百番之塔」とあります。

札所情報

堂名白石沢※1
寺院名白石山 石水寺 (別当林昌寺※1)
御本尊聖観世音菩薩
御真言オン・アロリキヤ・ソワカ
御詠歌こころをば 白石沢で あらへたし 深き願いに さわりある身を
こころをば 白石沢で あらへたゝ 深き願いに さわりある身を ※2
縁日4月8日※1
住所林昌寺 群馬県吾妻郡中之条町伊勢町1002
電話林昌寺 0279-75-2064
駐車場

※1 中之条誌情報 ※2 群馬県史資料編11

17番横札所

堂名湯峰横堂
寺院名湯峯山 清泉寺(済泉寺)
御詠歌人の身の 薬とならん 湯の峯へ 参る心に くるしみもなし
人の身に 薬とならん 湯の峯へ 参る心に くるしみもなし※1
人の身に 薬にならん 湯のみねへ 参る心に くるしみもなし
調べると上記のものあり、どれが正しいのでしょうか。

※1 中之条町誌情報

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