札所卅一番 玄太寺



玄太寺阿弥陀三尊坐像
玄太寺觀音堂境內にあるこの三尊坐像は鎌倉時代の作で阿弥陀如来坐像は高さ83cmあり後背に欠損部分があるります。他の二尊は、観音菩薩坐像(高さ52cm) 勢至菩薩坐像(高さ61cm) と思われています。 上部が欠損していますがいづれも前述の脇侍と推察できます。
観音堂にある扁額は、三郡坂東札所の御詠歌と思いましたが、違うようです。
| 寺院(札所)名 | 玄太寺 |
| 札所御本尊 | 厄除観音 |
| 御真言 | オン・アロリキヤ・ソワカ |
| 御詠歌 | 御仏の 恵もここを くみてしる 吉井の水の 深きためしに |
| 住所 | 群馬県高崎市吉井町吉井28 |
| 電話 | 027-387-2348 |
札所卅二番 朝日堂



公民館の屋根瓦に朝日堂の文字が浮き出していたらしいのですが、現在は修復された後のようで朝日堂の文字を確認することはできませんでした。
公民館の裏に寺院のマークが示された瓦が残っていました。
| 寺院(札所)名 | 朝日堂 |
| 札所御本尊 | (正観世音菩薩の情報アリ) |
| 御真言 | オン・アロリキヤ・ソワカ |
| 御詠歌 | きりの海の 迷やはれん 朝日なり さなから法の 光たづねて |
| 住所 | 群馬県高崎市吉井町中島9−1 |
| 電話 | – |
札所卅三番 光心寺



義民を祀る光心寺
この寺は義民堀越三右衛門・三木市右衛門の霊を弔うために建立されました。江戸幕府四代将軍家綱公の世、寛文年間凶作が続いて村人の困窮は甚しかったのです。然るに、時の地頭倉橋内匠は、苛酷なる重税を取り立て、特に小串・黒熊・白石・三ッ木の四ヶ村がその極に達し、同胞相擁して死を待つの有様でした。
緑埜村の名主 堀越三右衛門は、この窮状を救うべく地頭所に減租を哀願したが聞き入れられず、ますます重税を課せられました。 三右衛門は、死をもってこの危難を救おうと妻子に別れを告げ、江戸の幕府へ直訴しました。もとより直訴は法度なる故に捕えられ、小串 松原において磔の刑に処せられました。時は、寛文七年 (1667)十月十一日でした。なお更に一族の根をも絶たんとして幼児を捕え、長男は村人にかくまわれて難をのがれましたが、 次男三男はその三日後に斬殺されました。地頭倉橋は、少しも反省の色もなく増税を加えたため、黒熊村の三木市右衛門は、三右衛門の志を継ぎ、また直訴を企てたが探知されて獄舎に繋がること八年、遂に国払いの刑に処せられました。元禄十二年十二月二十三日没と伝えられます。
この両氏の犠牲によって、寛文八年倉橋内匠は改易となりました。 村人の喜びは限りなく、両氏の恩徳の賜と三右衛門が処刑された跡に、この両義民の霊を弔うため四ヶ村及び近郷の人々の力によって光心寺が建立されました。 それ以後毎年この霊を弔うため回向法会を厳修しています。(案内板より)
光心寺は南毛霊場では十二番の札所となっています。
| 寺院(札所)名 | 光心院 (一行山 光心寺) |
| 札所御本尊 | 如意輪観世音 |
| 御真言 | オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン |
| 御詠歌 | きくからに 心はすみて 永き世の ねむりやさめん ありあけのかね |
| HP | https://koushinji.com/ |
| 住所 | 群馬県高崎市吉井町小串771 |
| 電話 | – |

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