いぬ・い年生まれの守り神と書かれた玉村八幡宮を初めて参拝しました。社務所に巫女さんがいますから、そこそこ大きな神社でしょうか。
タイトルの昇龍の松については順を追って紹介します。
まずは鳥居から順番に玉村八幡宮を見ていきます。
鳥居をくぐる
日光例幣使街道から入るところに大鳥居があり車やバイクはここをくぐります。参道の左に数台駐車できるようになっていますが、その先にも駐車場はあります。
スマホのレンズが汚れててもやっとしてしましました ๐·°(৹˃ᗝ˂৹)°·๐
いぬ・い年生まれの守り神となると、生まれ年が違う自分は縁がないのかなって思ってしまいます。
が・・・決してそんなことはありません。
いろいろなご利益の神様が待っています。
随神門
鳥居の先には立派な随神門が現れます。
随神門は前身建物が西に隣接する別当寺神楽寺の安政七年(一八六〇)の火事により罹災し、棟札によれば慶応元年(一八六五)に上棟したものだそうです。三間一戸の楼門で屋根を入母屋造瓦葺・欅の素木造として、彫刻を軒支輪、蟇股内部、木鼻、上層の正背面の両脇間壁面、中備、虹梁等に多用し、 江戸末期の建築様式を呈しているそうです。 (境内設置重要文化財看板参照)
随神門を過ぎて左手には重要文化財を紹介する看板があります。
十二支性格早見表
おみくじではありませんが、占いみたいで誘われます。
子 | 繊細で勤勉 守本尊 千手観音 細かなことに気がつき、無駄づかいしません。お掃除が大好き。せっかく貯金したお金は大事に使いましょう。 |
丑 | 根気強くタフ 守本尊 虚空蔵菩薩 辛抱強い性格。お喋りではありませんが、信頼されるタイプ。好き嫌いがあり、一度怒ると止まりません。 |
寅 | 慎重で勇敢 守本尊 虚空蔵菩薩 考え深く落ち着いていて、リーダータイプ。うぬぼれやすく、目上の人と争うことがあります。 |
卯 | 愛嬌ある人気者 守本尊 文殊菩薩 お世辞がうまくて愛嬌がある人気者。友達も沢山います。変に遠慮深い所もあり、他人の為に苦労しがち。 |
辰 | 張り切り君 守本尊 普賢菩薩 友達の努力や、思わぬ人の引き立てがあります。 威勢がよくて負けず嫌い。気が短いのがたまにきず。 |
巳 | 心が奥深い 守本尊 普賢菩薩 一生お金に不自由しない人が多い干支。ただし、見栄や嫉妬、人を疑いすぎないよう注意。 |
午 | 世渡り上手 守本尊 勢至菩薩 お調子者でお世辞上手。人気もあってお金廻りも上々。陽気だけど根性不足。外見重視の人です。 |
未 | 上品で優しい 守本尊 大日如来 人を哀れむ心の持ち主。特技があっても自慢したりしません。取り越し苦労が多くて遠慮がち。ちょっと臆病。 |
申 | 器用で賢い 守本尊 大日如来 人気のある時は簡単に人を馬鹿にしたり、意地悪に人を褒めたりすると損をするので気を付けましょう。 |
酉 | 気変わり屋 守本尊 不動明王 あれもこれもと忙しく暮らします。気が変わりやすい性格。大きすぎる望みを持つのは禁物です。 |
戌 | 義理人情派 守本尊 八幡宮 正直に人のためには陰日向なく尽くすタイプ。その為損をして、くよくよ偏屈になる時があります。 |
亥 | 強気に邁進 守本尊 八幡宮 大変意思が強くどんなことでも貫くタイプ。前後を見ずに気が早いので嫌がられることがあります。 |
安産撫で犬
境内左手に安産・子育て・子宝をお願いする社があります。
・安産祈願
・子育て祈願
・子宝祈願
撫で犬を優しく撫でて十二支の玉に願いを込めるとご利益を得ることができるそうです。
犬は一度にたくさん子どもを産みますから安産のイメージですね。
猿田彦神社/淡島神社
撫でかえるで無事カエル ように
御神木
楠木(通称夫婦楠木)
この御神木は1本の幹から2本に分かれているので夫婦楠木と呼ばれているとのことです。
御水舎
コロナ対策で柄杓を使わずに清める方法をお願いしてるようです。
京都のお寺の紹介で見たことがありますが水辺に花を浮かべ参拝者をおもてなししています。
お気遣いがうれしいですね。
拝殿
拝殿は正面三間、側面三間、背面五間の入母屋造で、屋根は銅板葺だそうです。 現在、身舎正面の手前一間通りは畳敷、建造当初吹き放ちであったことが部材に残る痕跡より分かるそうです。建造年代は建築様式からみて一八世紀初期と推定されているそうです。幣殿は拝殿と一体として同時期に建てられた建築で、正面一間、側面三間の両下造(切妻造)である屋根は柿葺とのことです。 (境内設置重要文化財看板参照)
拝殿でお参りして間もなくのことでしたが、あるご家族の方が生まれて数か月の赤ちゃんを抱いて参列していました。
おそらくお宮参りでしょうか。
おめでとうございます。
本殿
現在、社殿は拝殿・幣殿・本殿は一体となっていますが、当初本殿は単独で建てられ、拝殿・幣殿は後に建て加えられたものだそうです。三間社流造とし、身舎は二間で前方一間を外陣、後方一間を内陣ね屋根は柿葺とのことです。 組物は身舎を出三斗、向拝を出組、中備を蟇股、向拝の繋梁は海老虹梁だそうです。当建物にみる簡素な妻飾、彫刻パネルを嵌め込んでいない外壁、背が高く脚の短い蟇股、向拝側面の木鼻、身舎正面柱の金襴巻等は、比較的古風な建築様式。向拝中央部の頭貫(異形虹梁形)、身舎側面の火灯窓・ 桟唐戸は当初はなく後の改修により設けたものだそうです。
県内では17世紀中期以降に多く見られるようになる彫刻、彩色、金物等を多用し装飾化が進む前段階の建築だそうで、細部意匠よりむしろ建物全体のプロポーションを重視した造りとのことです。(境内設置重要文化財看板参照)
神楽殿
神楽殿は入母屋造で屋根は鉄板葺、妻面の北側を正面とし、北側を吹放しの舞台、南側を楽屋としています。舞台の三方には高欄付きの縁を廻し建造年代は、 正面に見る享和二年(1802)の太々神楽掲額、及び細部の建築様式から19世紀初期と推定されているそうです。 (境内設置重要文化財看板参照)
その他の神社
石灯篭
社務所
社務所でお守りやお札、御朱印を受けます。
昇龍の松・勝運の松
パワースポットと言われる 昇龍・勝運の松です。木がVの形になっていて困難なことにも力強く生き抜こうとする姿から心願成就・必勝祈願が願われているそうです。
運気が上昇しますように、お願いします。
玉村八幡宮由緒略記
写真だと文字が小さく映り込みがひどく読みづらいので一部文章にて紹介します
鎮座地
群馬県佐波郡玉村町下新田一番地 鎮座
祭神 誉田別命 ほんだわけのみこと
(第15代応神天皇)
気長足比売命 おきながたらしひめのみこと
( 応神天皇の母、神功皇后)
比咩命ほか十五柱を合祀
由緒 当社は、鎌倉初期の建久6年(1195)源頼朝公によって、玉村町角渕の地に創建奉斎された角渕八幡宮を元宮とする。口碑によれば、頼朝公が新田館より三原へ赴く途次この地に休息し、烏川の地形が鎌倉の由比ヶ浜に似ていたために上野奉行安達藤九郎盛長に命じ、鶴岡八幡宮の御分霊を勧請奉安せしめたという。以来、関東管領畠山満家・白井城主長尾左衛門尉憲景等による再建修造がなされた。江戸時代の初めには、関東郡代伊奈備前守忠次が当地一帯の新田開発 (天狗岩堰開削)に際して、一大事業の成就を神前に祈り、慶長15年(1610)無事竣工をみるに及び、神助への報賽と玉村鎮守のため角渕八幡宮本殿を上・下新田境の此地に移築修造した。これが現在の玉村八幡宮である。慶安2年(1649)には幕府より朱印地三十石を寄進され、 また、歴代の前橋藩主の月詣を得ると共に。数次の修造がなされた。このように武門武将の崇敬を得た、ばかりではなく、正保3年(1646)の日光例幣使街道開設後は、当地が第一の宿場町として栄えるにつれ、道中安全や開運招福を願う一般庶民の崇敬をも集めることとなり、以来「玉の里の八幡さま」として親しまれる。また、古来より特殊信仰として、いぬ・い年生れの守り神という戌亥八幡信仰があり、その御神徳は今も尚おおいに発揚されるところである。
(中略)
例祭日 10月16日
宝 物 御神號掛軸
御朱印
太 刀 (銘菊一文字) ほか
….HIROが選ぶ玉村八幡宮ベスト3
第1位 昇龍の松・勝運の松
やはりパワースポットは見逃せません
第2位 神楽殿
きれいな神楽殿です。ぜひ御神楽の奉納の舞が見たいな~
第3位 手水舎
花を浮かべる気遣いがうれしい
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