赤城神社の赤城姫に願いを

赤城姫の伝説のある赤城神社ですが、境内を見ながら参拝に行きます。

境内を歩く

境内から順を追って参拝します。

啄木鳥橋

 いつもなら赤城神社に参拝するときは目印となる赤い橋(啄木鳥橋)を通っていくのですが、現在橋の老朽化で事故防止のため通行ができないようになっていました。

啄木鳥橋を渡り終える場所から撮影

鳥居

橋を渡り終えると石柱(延喜式内名神大社 赤城神社)と鳥居(赤城大明神)が出てきます。

赤城神社鳥居
赤城大明神 鳥居

灯篭

鳥居を抜けると大沼沿いに進みますが、右手に灯篭が並んでいます。昼間でしたので灯されてませんでしたが、暗くなったら明かりがつくのでしょうか?
十数基ありますので、霧が出たときに灯されたら幻想的な光景になるでしょうね。

灯篭

手水舎

灯篭を過ぎると、手水舎や拝殿が現れます。
参拝前にはここで心身を清めます。

拝殿・手水舎・社務所など
赤城神社手水舎
手水舎
赤城神社手水舎
水神様?

感染防止のためか柄杓はおいてありませんでしたが、参拝されてる人はここで手を出し水で清めていました。
そばには、この水についてと手水の作法の看板がありました。

手水の作法  (看板表示)
他と少し違うようですので紹介
「手水」は「心身の浄化」こそが最も大切なことです。
1. 右手で柄杓を取ります
2. 水盤の水を汲み上げ、左手にかけて洗います
3. 柄杓を左手に持ちかえ水を汲み上げ右手を洗います
4. 再び柄杓を右手に持ちかえて、左の手のひらに水を受けて溜めます
5. 口をすすぎます 柄杓に直接口をつけないようにしましょう 静かにすすぎ終わって、水をもう一度左手に流します
6. 最後に柄杓を立てて、残っている水を流しながら、柄の部分を洗うように心懸け、伏せて元の位置に戻します

赤城神社御神水

御神水

 赤城神社跡地、大洞の林の中に湧き出ている清水は、昔から「御神水」と名付けられ、一掬千金に価する水とされ、朝廷、幕府に献上されておりました。
 江戸時代、幕府はこの水を守るために、赤城神社境内地周辺に、厠等の不浄の物の建設を一切認めませんでした。
 この手水舎の水は、御神水の湧き水を水源とする簡易水道をこの地まで引いたものです。(看板表示)

拝殿・本殿

水で清めができたらいよいよ拝殿に参拝します。
みなさんおなじみの神社参拝の基本は二拝二拍手一拝ですね。

拝殿
赤城神社本殿
本殿
赤城神社
左側から見た拝殿と本殿
赤城神社
これも手を清めるところ?

左側は子を抱いてる? 子取りの狛犬 子孫繁栄を願って 
右側はまりを抑えている 玉取りの狛犬 物事がうまく運ぶように

赤城神社子取りの狛犬
赤城神社玉取りの狛犬

たくさんの人の願いが結ばれた「おみくじ掛け」
願い事がかないますように♡

赤城神社おみくじ
おみくじ掛け

社務所・御朱印

参拝が済んだら、社務所にておみくじ・お守り・御朱印などを受けます。

社務所

これで一通り参拝できましたが、赤城神社について多少調べたことをまとめました。

御祭神

赤城大明神 [あかぎだいみょうじん]
大國主神 [おおくにぬしのかみ]
磐筒男神 [いわつつおのかみ]
磐筒女神 [いわつつめのかみ]
経津主神 [ふつぬしのかみ]

由緒

赤城神社ホームページより一部抜粋

その信仰は、太古に遡り設立年代は不詳ですが、大同元年(806年)に小沼から見上げる神庫岳(後の地蔵岳)の中腹より、大沼の畔に御遷宮されたという記録が残されております。
この年号に因み、この地を大洞と名付けたのです。この時、小沼の畔にも小沼宮(豊受神社)が建てられております。

神仏習合期には、はば広い信仰を集め、神社の規模も大きく発展し御神域も赤城山全体におよぶほどになり、朝廷より御神位を賜り、承和六年(839年)にはじまり、元慶四年(880年)には赤城沼神として昇叙し、長元年間(十一世紀)には正一位に叙せられております。

江戸時代に至り、相殿に東照大権現・徳川家康公をお祀りし、将軍家をはじめ諸大名の信仰厚く、三代将軍徳川家光公は寛永十九年に、社殿の再建を命じられました。
また、厩橋(前橋)城主は、自ら大祭に参列され、平和と安全を祈願されておりました。
厩橋城内をはじめ、各地に分社が勧請され、山開き例大祭には近隣の村々や、遠く、武蔵・安房・上総・常陸・越後の国々からも参詣者が訪れました。
赤城山の登山口八か所に、鳥居が設けられ、これらは、近隣の村人によって奉納されたものです。
このうち、厩橋城主が登拝した参道の鳥居(前橋よりの登山口)を、一の鳥居と呼んだのです。
この頃、神祇伯白川家より「上野國総社大洞赤城神社」吉田家より「正一位赤城大神宮」の称号が贈られております。これは、当時の赤城神社への信仰のほどを物語るものです。

明治20年~43年の間、小沼畔・豊受神社、小鳥ヶ島・厳島神社、黒檜山頂・高於神神社をはじめ、赤城山内の神社を合祀いたしました。
寛永十九年(1642年)徳川家光公の命により再建された社殿は、三百年以上に亘る赤城山の厳しい気候により荒廃したため、昭和45年、凡そ千二百年鎮座した大洞の地をあとに、小鳥ヶ島・厳島神社の跡地に御遷宮されました。

神道集

巻第七 36話「上野国一之宮事」
巻第七 40話「上野国勢多郡鎮守赤城大明神事」
巻第八 43話「上野国赤城三所明神内覚満大菩薩事」の3話が収められていて40話の上野国勢多郡鎮守赤城大明神事は淵名姫と赤城姫の伝説として伝えられています。赤城姫は竜宮城へ召され赤城の沼の龍神の後を継ぎ赤城大明神となったことから祈願する女性の願いは叶えられ、また美しい娘を授かるという伝説があるそうです。

….HIROが選ぶ赤城神社ベスト3

第1位 啄木鳥橋 
 湖面にかかる朱色の橋は美しいです

啄木鳥橋

第2位 拝殿・本殿
 赤城姫に願い事を叶えてもらいます

拝殿

第3位 燈篭
 燈篭が参道にある神社は群馬ではなかなか見た記憶がありません

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