三原郷札所三十二番 林寺(御塚)

林寺

この札所の場所は林寺という名称より御塚という名称のほうが探しやすいようです。札所自体は御塚のすぐ隣にあります。堂宇の周りには供養塔などがたくさんあります。三原郷34観音を廻り始めて、こちらは4番目に巡礼しましたが、かなりの数の観音菩薩や供養塔などが奉納されていて、当時の信仰の深さをうかがい知ることができます。

林寺見どころ

  • 堂内の天井絵
  • いたやかえで
  • 御塚

林寺案内図

林寺案内図

林寺

林寺

観音堂は当初は間口2間・奥行き2間のつくりだったようですが、付け足されて今は間口3間半・奥行き2間半となっています。
長野原町誌によると本尊は観世音と不動明王だそうです。

堂内は奥に扉がありその奥に厨子があるようです。
格子天井に絵や文字が書かれています。

石仏

林寺石仏
林寺供養塔

庚申塔や馬頭観音、供養塔がたくさんあります。

いたやかえで

御塚いたやかえで

町指定文化財で長野原かるたの「お」になっているそうです。
「御塚に大木いたやかえで」
観音堂の右後方にあります。

御塚

 浦野家墓地にひときわめだつ小山を、里人は 「御塚」と言っている。大字林浦野家の過去帳によれば、「大乗院村信法印、寛永二年三月御塚の神也」とあることから、この御塚は権大僧都法印村信を葬った墓であることがわかる。

 村信は浦野家三代浦野右衛門尉重俊の二男として生まれ、父は上州大戸城主で吾妻郡三島村に住し、天正11年(1583)榛名堺論には、村信・村英兄弟は榛名山房に切り込み山中には一人もなく逃げ去ったと言う。

 それより村信は禄を得て林村大乗院に赴き、修験号を仮に大善院と称し、天正17年上京して大乗院住職となった。村信は嗣がなかったので、海野長門守の二男俗名信濃丸を養子に迎え嗣とし幸照と号した。後に沼田城主真田伊賀守の祈祷所となり、村信の没後伊賀守は近村に令して戸毎に蕎麦の殻を課徴してこれを埋め、塚を築造し村信の墳墓とした。これが林の「御塚」 である。(長野原町教育委員会案内板より)

 御塚はお墓なので写真の掲載は控えさせていただきました。

札所情報

堂名 
寺院名林寺
御本尊聖観世音菩薩
御真言オン・アロリキヤ・ソワカ
御詠歌急がれて 月日のたつも 林寺 身のいりあいを たのむ観音
縁日
住所群馬県吾妻郡長野原町林
電話
駐車場

アクセス

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