三原郷札所三十一番 三ツ堂

三ツ堂

ここのお堂、石仏群、詣り墓は八ッ場ダム建設により2008年にお堂と石仏群が、2010年に墓石群が移設復元されました。このお堂は江戸時代には観音堂、阿弥陀堂、毘沙門堂の3つから構成されていたため三ツ堂とよばれていたそうです。

三ツ堂の見どころ

  • 石仏群
  • 詣り墓
  • 堂内の十王仏 (拝観できる日がわかりません)
  • 百八灯の行事

三ツ堂案内図

三ツ堂案内図

三ツ堂

三ツ堂
三ツ堂

観音堂は、間口2間・奥行き2間・亜鉛板葺きで、堂内を見ることができませんが、案内板によると「閻魔王」など木造十王仏が安置されているそうです。

この三つ堂では毎年8月16日の夕方お盆の送り火として百八灯のかがり火の行事が行われているそうです。(108本の竹にろうそくを立て、火を灯す幻想的な行事)

石仏群

三ツ堂石仏群
三ツ堂石仏

三ツ堂向かって右側の石仏群は約70体ほどあり、ほとんどが江戸時代のものだそうです。
それぞれの 石仏名を紹介している案内板がありますので、ひとつひとつ確認できます。
以下仏像に関する説明です。(掲示物より)

  • 薬師如来
    薬師経に説く東方の浄瑠璃世界の教主。菩薩であったとき十二の大願を発して成就し、衆生の病を救い苦無名の痼疾を癒すという如来。日光・月光菩薩を脇侍として三尊をなし十二神将を眷属とする。普通左手に壺を持つが、古くは通常の如来形に造られた。朝観音・夕薬師と言われるほど庶民に信仰された。
  • 奪衣婆
    三途の川のほとりにいて、 亡者の着物を奪い取り、衣領樹の上にいる縣衣翁に渡すという鬼婆。十王経に見える。
  • 大日如来
    宇宙と一体と考えられる凡神論的な密教の教主。大日経・金剛頂経の中心尊格。 その光明が遍く照らすところから遍照または大日という。 大日経系の胎蔵界と金剛界の二種の像がある。
  • 弥勒如来
    釈迦牟尼仏についで仏になると約束された菩薩。 兜率天に住し、釈尊入滅後五十六億七千万年の後この世に下生して、 竜華三会の説法によって釈尊の救いに洩れた衆生をことごとく救度するという未来仏。
  • 阿弥陀如来
    西方にある極楽世界を主宰するという仏。 法蔵菩薩として修行していた過去久遠の昔、衆生救済のため四十八願を発し、 成就して阿弥陀仏となったという。 我が国では浄土宗・浄土真宗などの本尊。
  • 不動明王
    五大明王・八大明王の一つ, 仏典では最初、 大日如来の使者として登場し、 やがて大日如来が教化し難い民衆を救うため忿怒の姿に仮に現したものとする。 普通、一面二臂で、右手に降魔の剣を持ち、左手に羂索を持つ。
  • 如意輪觀音
    六観音・七観音の一つ。 如意宝珠と輪宝を持って一切衆生の願望を満たし、 苦を救うという変化観音。多くは六臂像に表される。
  • 庚申塔
    三猿の形を刻んだ石塔
  • 馬頭觀音
    頭上に馬頭をいただいて忿怒の相をなした変化観音。 馬頭を直接頭にするものもある。 六観音・七観音のーつ。 普通は三面で、二臂・八臂像等がある。 馬頭明王ともいい、 八大明王の一つ。 馬の保護神として、 特に江戸時代に広く信仰された。
  • 五輪塔
    五大にかたどった五つの部分から成る塔。 下から地輪は方、水輪は球、火輪は三角、 風輪は半球、 空輪は宝珠形。平安中期頃から供養塔・墓塔として用いた。

まいり墓

三ツ堂詣り墓

こちらの墓石群は「タマシイ」を祀る墓で詣り墓というそうです。死者を埋めた墓(埋め墓)は別にある両墓制で霊肉分離の考え方はこの地域の特長です。

宝篋印塔

三ツ堂宝篋印塔
諏訪神社宝篋印塔

すぐそばにある川原畑諏訪神社の宝篋印塔です。文化財ということで案内板がありましたので立ち寄ってみました。

札所情報

堂名三ツ堂
寺院名 
御本尊馬頭観世音菩薩 (長野原町誌によると本尊は閻魔大王と紹介されています)
御真言オン・アミリトドバン・ウン・パッタ・ソワカ
御詠歌身のはてを 思いいるかの 山のを 大悲のかげや 曇りあらじな
縁日
住所群馬県吾妻郡長野原町川原畑
電話
駐車場特にありません。

アクセス

三原郷三十四観音札所一覧

コメント