岩之上堂

秩父札所二十番 岩之上堂

 岩之上堂は、駐車場から訪れると階段を下ったところにあります。庭園すべてに手が加えられ、とてもにきれいで閑静な札所です。
 時間がゆっくり動いてる感覚を覚えるこの場所は、個人的には全34カ寺の中でもトップ5に数えるほど気に入っている札所です。

秩父札所の御開帳は12年に一度の午年ですが、岩之上堂は6年に一度(子年?)の3か月間に中開帳、4月18日の観音縁日にも本尊を見ることができます。

観音堂

岩之上堂について

 承暦元年白河法皇が熊野に行幸したときの発願により、この地に本尊「聖観音像」を安置したと伝えられる。昔は願上寺と称し大伽藍を擁していたが、天文、永緑の兵乱によって廃に帰したが村を支配していた内田氏が観音堂を再興したといわれています。

岩之上堂の見どころ

  • 観音堂
  • 熊野権現神社
  • 摩尼車
  • 観音開き裏の彫刻(御開帳時)
  • 欄間の24孝の彫刻
  • 岩下の乳水場と呼ばれる奥の院(現在は歩道が危険なため見られない)
  • 4月18日 観音縁日

岩之上堂境内案内図

案内図

岩之上堂境内の案内図、チェックポイントです。だいたいの位置を図にしてみました。どこにあるのかわからない、見過ごしたなんてことの無いように作りましたので参考にしてください。

寺号標

寺号標と眼下に観音堂

駐車場の向かいには 巡礼道二十番入口の石碑があります。
階段を下り始めると色々な花が訪れる人の目を楽しませてくれます。

観音堂

観音堂

現在の堂は江戶中期の造営と思われますが、元禄年間に内陣の補修、宝永年間に彫刻の補修を経てきたもので、唐模様系統の建築で優秀な造りとされております。三間四面方形造りで他の堂における指折の建築で、 延宝初年、内田家先代、内田武左衛門尉政勝の再建によるものといわれております。

岩の上堂の名の如くこの地は荒川西岸の崖上にあって本尊は聖観世音立像で高さ71cm、寄木漆箔、藤原時代の作と言われています。内陣には見事な春日厨子の形式による厨子があって、三三身と日天、月天像、風雷神像などの像がはられ、札所の中でもすぐれたものと共に貴重なものです。


ご本尊は中央の厨子に安置され、その前には前立観音さまがおります。左右にも厨子があり、それぞれ観音様がおられるとのことです。(納経所の女性の説明)

扁額

堂内は撮影禁止のため、秩父三千女など紹介できませんが、堂内の扁額には「清苔閣」の文字が書かれています。入って右手にはお社がありますが、現在なかには何も無いとのことです。

上部には二十四孝の彫刻があります。
・たけのこが確認できる彫刻はおそらく「孟宗」の故事と思われます。
・中央の椅子に座っている人の前にかごをわきに話しているのは「蔡順」でしょうか。
・同じく中央の隣には虎に食べられそうな彫刻は「楊香」ですね。
・赤ちゃんを抱く女性と中央に釜のある彫刻は「郭巨」ですね。
具体的に二十四孝のお話が知りたい方は、こちらのサイトが参考になります。

納札

柱には巡礼者の納札が残っています。

摩尼車

摩尼車

摩尼とは意のままに宝を出すといわれる珠のことで、仏様の徳に例えたりお経の功徳に例えたりします。「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶ギャーティギャーティハーラーギャーティハーラーソーギャーティボージーソワカ」と経文を唱えながら手前に一回廻します。

石仏

石仏

観音堂の右手に石仏が並んでいます。
向かって左より、日本廻国供養塔、地蔵菩薩像、如意輪観音像(女人講中)

熊野権現神社

観音堂の右手奥に進むと熊野権現神社があります。

観音霊験記と御朱印

観音霊験記 寺尾村の孝子

寺尾村の孝子
寺尾に住む孝行息子が川向こうの宮路の病の老母見舞う時大雨で渡れない川を観音様が童子舟に姿をかえ母に会う事が出来た

御朱印

墨書き 法王山 聖観世音 岩之上堂
八角形の三宝印 佛法僧寶

寺院情報

宗派臨済宗南禅寺派
山号法王山
寺院名岩之上堂
御本尊聖観世音菩薩
御真言おん あろりきゃ そわか
御詠歌苔むしろ 敷きてもとまれ 岩の上 王のうてなも 朽ちはつる身を
住所埼玉県秩父市寺尾2169
電話0494-23-9419

駐車場

駐車場

すぐそばにもう一つ駐車場があります。

お手洗い

トイレ

新しく、とてもきれいなトイレでした。

休憩所

あずまや

このあずまやは、お遍路さん用かわかりませんがくつろげそうです。

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