法長寺

秩父札所七番 法長寺

牛伏堂とも言われる法長寺です。
広い駐車場から山門を入るときれいな庭園があり落ち着ける寺院です。

法長寺ほうちょうじチェックポイント

御朱印目的だけで訪れると見ておきたいところに気付かず帰ってしまいます。
法長寺で是非見てほしい場所や建物をリストアップしましたので拝観の参考にしてください。

法長寺について

 牛伏堂は江戸時代札所再編の折、もと根古屋(牛伏)にあったそうですが現在地に移されたそうです。本堂は平賀源内の原図によって建てられたと伝えられていまして間口10間奥行9間瓦葺入母屋造りで札所一の大伽藍だそうです。堂内土間の上に四国志度寺の縁起が彫刻されていて、左右に座敷書院を配し、内陣のまわりには極彩色の彫刻欄間、格天井には花鳥が画かれてます。観音堂は別棟にあったそうですが天明2年(1782年)に焼失したとのことでそれ以来堂内に観音像は安置されているそうです。寺宝として大涅槃像の大作があるそうです。

法長寺境内案内図

境内案内図

法長寺境内の案内図、チェックポイントです。だいたいの位置を図にしてみました。どこにあるのかわからない、見過ごしたなんてことの無いように作りましたので参考にしてください。

山門

山門

 山門の右手には曹洞宗 法長禅寺、左側には日本百番観音 秩父霊場 札所㐧七番の文字が掲げられています。

山門向かって左手にある結界石
不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)とあります。群馬南牧村の不動寺に訪れたときもありました。
ニラ、ネギ、ニンニクなど臭気の強い野菜や酒は、修行の妨げになるので、これを口にしたものは清浄な寺内にはいることを禁じるとの表示です。

本堂

法長寺 本堂
青固山の扁額

 平賀源内の原図によって建てられたと伝えられている本堂。
四国86番志度寺の縁起「玉とり物語」が堂内の欄間に彫刻されています。
左側の欄間には、宝物を積んだ船が彫刻されています。
中央の欄間には、竜神と戦う場面が彫刻されています。
右側の欄間には、竜宮の前にいるような彫刻? です。

海女の玉取り伝説
 昔、当時の中国の名称である唐の第3代皇帝、高宗こうそうに嫁いだ藤原鎌足の娘である白光は、亡き父の供養物として数々の宝物を、兄である藤原不比等に届けようとしました。 ところが、宝物を積んだ船が志度の浦にさしかかったとたん嵐が起こり、唐に二つとない宝物「面向不背めんこうふはいの玉」が龍神に奪われてしまいます。
 藤原不比等は玉を取り戻そうと、公家の高官である身分を隠し、淡海たんかいと言う名で志度の浦へやってきました。そこで漁師の娘であった海女と恋に落ち、房前ふささきという男の子を授かり、親子三人で幸せに暮らしていました。
 ある日、不比等が自分の素姓と志度の浦へやって来た目的を海女に明かすと、愛する人のために玉を取り戻そうと、海女は死を覚悟で龍神のいる竜宮へ潜っていったのです。
 海上で待っていた不比等は、海女の合図で命綱をたぐってみると、目の前に現れたのは、今にも事切れそうな海女の姿でした。海女は間もなく不比等に抱かれたまま死んでしまいましたが、玉は海女の命に代えて取り返すことができたのです。
 不比等は亡くなった海女を志度寺に葬ると、残された房前を都に連れて帰っていきました。  藤原一族として高官に出世した不比等と海女の子である房前は、母の最期を知った後に志度寺を訪れ、千基の石塔を建立し、小堂を大きな堂塔に立て替え、さらに法華八識を納めて亡き母の菩提を弔いました。

公営国民宿舎のホームページより

 本堂右の柱には「慈眼視衆生じげんししゅじょう」の文字が左側の柱には「福聚海無量ふくじゅかいむりょう」の文字が掲げられています。
慈眼視衆生とは観音さまがいつもやさしい、慈しみのまなざしで私達を見て下さるという意で福聚海無量とは観世音菩薩さまの福徳が海の如く広大で無量にあると言う意です。

恵比寿と大黒

 本堂前に鎮座する木造の恵比寿天さまと大黒天さま。
温かみのある木造とにっこりした表情が訪れた人を和ませてくれます。

牛伏堂由来の牛の石像

 平将門と戦い敗れこの地で亡くなった兵士の妻がこの地を訪れました。すると夢に夫が現れ「将門と戦ったため、いま村のある家の牛の子に生まれて苦しんでいる」と告げられた。妻は尼となり夫を苦しみから救ったそうです。

 また、牧童が草刈りをしていると牛が現れ、動かなくなったそうです。その草の中から十一面観音が現れたという。これが牛伏堂の由来だそうです。

仏足石と甲子大黒天

豊川稲荷と観音立像

豊川稲荷と観音立像

観音霊験記と御朱印

花園左衛門督長臣某
𣴎平の頃當郡末野の郷花薗の城主某左衛門督の長臣某は、
放逸邪悪の者なりしが相馬将門の謀逆に与して
天慶三年 官軍に攻られて山林に志のひしが終に死す
爰に一僧當寺の観音を携へて其辺に兵乱を避て居たるがゆへ長臣の(骨盍)を埋む
其後平穏になりて迯去し土民等みなみな住家に皈るがゆへ加の長臣の妻子も縁家に皈りて
夫の行衛を捜せしにかの僧死たることを語ればすにかなしみその塚に時々詣でけるうち
縁家の牛犢を産ぬ□の犢此妻子を慕ふがゆへ一日加の塚へ牽連しに
塚の前に膝まづきて涙を流し人語を□って
我は汝が夫なり悪心の報によって加ゝる牛となれり
何卒妻子と□に出家となりてこの観音を供養せば、必ず得脱せんと
いふより直に死せり是によって
加の妻子即座に髪をおろして尼となり夫の悪報を観音に祈りしかば終に畜生を転じて
聖衆に生まれしはふしぎの霊験なり
□の部分は変態仮名文字を探しましたがわからなかった文字です。

牛伏堂(秩父三千女より 堂内に掲載されているため写真撮影できません)
花園左衛門の家来が戦に敗れ此の地に落ちのびて亡くなった
その妻の夢に亡き夫があらわれて牛の子に生れて苦しんでいると救を乞ふた
妻は出家して夫を救ったと云ふ

納経所

墨書き 青苔山 大光普照殿 法長寺
宝印 火焔宝珠に十一面観世音菩薩の梵字
   読み方はキャ
牛伏堂の印

寺院情報

宗派曹洞宗
山号青苔山
寺院名法長寺
御本尊十一面観世音菩薩
御真言おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌六道を かねてめぐりて おがむべし またのちの世を きくも牛伏
住所埼玉県秩父市横瀬町苅米1508
電話0494-22-1921

駐車場

右手のバイクで巡礼しています。

お手洗い

休憩所

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