沼田横堂札所八番 但馬院観音堂 (念力堂)

お地蔵さま

但馬院観音堂は太助ドライブインの端に佇んでいます。
写真のお地蔵さんが笑顔でお迎えしてくれます。

但馬院観音堂

但馬院観音堂

観音堂の右下に「如意輪観世音菩薩盗難不在」と書かれています。さらに「台座刻記不詳」と書かれています。

但馬院観音堂内

堂内の右端には不動明王像(火焔光背は取れて横たわっています)。その隣に観音様と思われるちいさな仏像が2体。
中央に観音菩薩が安置されています。厨子の右側には「南無大慈大悲観世音菩薩」と書かれています。観音さまは聖観音特有の蓮華は持たず、左手に何かを持っています。この観音様はどなたでしょうか。更に左にも仏像が3体おられます。
仏像に気を取られ気づきませんでしたが天井にはきれいな絵が描かれていました。

石仏群

石仏

石仏の左側は大青面金剛塔・右側は書寫経王塔が佇んでいます。
観音堂の周りは墓地となっていますが、その一部に文政元年建立の宝筐印塔があります。

但馬院

但馬院観音

但馬院の天井絵
江戸末期から明治、大正初期にかけて群馬県ならびにその周辺で様々な作品を残したみなかみ町出身の画家・林青山作の天井絵です。 青山は掛け軸、屏風、衝立などを手がけましたが、みなかみ町にはここ但馬院のほか如意寺(みなかみ町上津)、龍谷寺(みなかみ町師)、玉泉寺(みなかみ町下牧)、廣福寺(みなかみ町羽場)、羽場日枝神社(同)などで格天井に絵を描いています。青山の天井絵は龍を中心として多種多様な花鳥獣図が色鮮やかに描かれているのが特徴です。但馬院の天井絵は本堂格天井に8列×8列、64面の花鳥獣が描かれ、右隅の一枚に落款印が明瞭に押されていますが、制作年月日は入っていません。 青山の経歴から明治元年前後の作品であると考えられます。なお、龍の図は格天井とは別に、本堂護摩檀の天井に描かれています。(みなかみ町指定重要文化財案内板より)

但馬院の火防祈願地蔵尊縁起
安永七戊戌(つちのえ・いぬ)の年というと、安永七年は西暦1778年のことであります。
昔の宿場通りは道路の中央に堰が流れていて、この地蔵菩薩も下新田宿の中心地の堰の傍に建立されていました。
世人も寝静まったある夜のこと、一軒の農家が囲炉裏の残り火から火災になった時、お地蔵様が家の人の枕元に立って火事のことを知らせて家の人を起こし、わが身を挺して、ともに火災を鎮火しようとした、なんと不思議、お地蔵様の体がぐんぐん大きくなり大地蔵となって、どこから出すのか消火弾のような団子を炎に目がけて投げ、大きな手を広げると、炎を被うように火の中に飛び込んだ。すると炎は見る見るうちに下火になり鎮火した。同時にお地蔵様の姿はなくなっていた。皆々は手を合わせてお地蔵様を拝んだ。数日たったある朝、お地蔵様は何事もなかったように同じ場所に立っていた。皆々は喜び感謝し、それより誰言うとなく「火伏せ地蔵」と呼ぶようになり、今日まで、火防祈願のお地蔵様として親しまれ崇拝されてきました。
昭和年代の初め、この地にも乗合自動車が運行されるに従って道路の改修が行なわれ、堰も道路の中央から北側へ移されることとなり、お地蔵様も交通の支障になるとして、居場所がなくなったので、ここ但馬院の境内を安住の地として移転し、現在に至っております。(新治村企画観光課案内看板より)

但馬院には善光寺三尊仏の石仏が門を入った左側にあるとの情報を知り、再度確認に訪れましたが、それらしい石仏は左側には無く右側にそれと思わせる石仏がありましたが、何も表示されていなかったので確信が持てませんでした。

三尊仏の石仏

アクセス

境内案内図

境内案内図

札所情報

堂名但馬院観音堂
寺院名寿岳山 但馬院
御本尊聖観世音菩薩
御真言オン・アロリキヤ・ソワカ
御詠歌おしなべて 皆こたかいの 水にすむ 月の光は げにもさやけき
住所群馬県利根郡みなかみ町新巻486
電話

沼田横堂観音霊場札所一覧

コメント